「助ケテ…助ケテクレ……。早ク…僕ヲ……」
ヤスだったものが一歩、又一歩とゆっくり十六夜に近付いて来る。
十六夜は少しも動じる事無く優しく、何処か悲しげな眼差しで
その哀れな存在を見つめているだけだ。
「助ケテクレ…。楽ニナリタイ……」
「解った。其方の望み、叶えよう」
十六夜は呟く様にそう告げると不意に重心を下げた。
「あれは…居合いの形?」
その姿勢を見て、朔耶が声を漏らす。
確かに、十六夜は抜刀の体勢をとっている。
しかし彼の手には今、何も無い。
『十六夜…剣道経験者なのか? しかし素手でどうやって…っ?!』
その時、朔耶と寿星には見えた。
十六夜の手には確りと刀の柄が握られている。
先程迄存在していなかった日本刀が今ハッキリと見えていたのだ。
「彼奴…何時の間に刀を……」
「違う、あの刀は…」
「兄ぃ?」
「あれは普通の刀じゃない……」
「?」
淡い紫色に輝く不思議な刀。朔耶はその刀に魅入られていた。
「oM amogha-vairocana (オン アボキャ ベイロシャノウ)
mahA-mudrA maNi-padma (マカボダラ マニ ハンドマ)
jvAla pravartaya hUM (ジンバラ ハラバリタヤ ウン)…。
一、ニ、三、四、五、六、七、八、九、十
(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり)…。
不瑠部、由良由良止(ふるべ ゆらゆらと)…不瑠部(ふるべ)……」
低く、静かに唱えられる文言に朔耶は意識を取り戻す。
『【光明真言和讃】? それに【布瑠の言(ふるのこと)】…。
やはり十六夜は……』
ヤスだったものは再びその巨大な腕を十六夜に目掛けて振り落とす。
だが、次の瞬間、其処に転がっていたのは
押し潰された十六夜の死体ではなく…。
* * * * * *
十六夜に抱きかかえられたヤスの顔は
非常に『穏やかな』表情を浮かべていた。
安心して眠る子供の様に純粋で無垢な微笑。
苦しみから解き放たれ、安心して彼の魂は旅立ったのだ。
残った体はブスブスと音を立てて土塊の如く崩れていった。
肉体と共に、影喰も滅んだのだろう。
実に呆気無い幕切れであった。
十六夜は何も言わず、ヤスを朔耶に託した。
残された部分を弔ってやれと言うのだろう。
ヤスとは反対に彼の表情は重いままだった。
『これが…十六夜の言う【退魔師の宿業】って奴か…。
たとえ敵を倒したとしても…』
朔耶は確りと頷くと十六夜からヤスを受け取った。
「後は…俺達でする…。済まなかった、十六夜」
「…頼む」
月を隠していた雲は雨を呼んだらしい。
ポツポツと額に、腕に冷たい雨が降り注ぎ始めた。
「…でだよ」
雨に打たれ、冷静さを取り戻したのか。
寿星は言い知れぬ怒りと悲しみの目を十六夜に向けた。
「これじゃ只の人殺しじゃねぇかッ!!」 |