Kalte Aufruhr

「風邪?」
「そうらしいですよ。
 横峰さんが言うには」
「あの人が風邪…ねぇ〜」

最初に犬塚から聞き慣れない単語を告げられた俺は
その直後から数回、御丁寧に同じ事を訊ねていた。

風邪。
一番それの影響を受けないであろう人が
よりにも因って風邪を引いたとは…。

俄かには信じられない。
が、生真面目な横峰に限って
こんな下らない冗談を言う筈も無いのだ。

それに言われてみれば確かに
今日はまだその姿を
一度も見ていないのである。
信憑性は限りなく…高い。

「…本当に風邪引いたのかなぁ〜?」
「心配なんじゃないんですか?」
「ん?」
「看病に行ったら良いのに…って思っただけです。
 きっと喜んでくれるんじゃないかなって」
「誰が?」
「倉持さんが」
「俺が?」
「はい」
「…俺がぁ〜っ?!」
「適任者が他に誰か居ます?
 谷先生は忙しそうだし…」
「……」
「あ、そう言えば…
 氷室さん、この事知ってるかな?
 そうかぁ〜、氷室さんなら
 看病に行ってくれるかも知れませんね」
「…俺が行く」
「倉持さん?」
「犬達の事は任せたからな、犬塚」
「あ…はい……」

氷室の名前を聞くと、何故か落ち着かない。
彼奴があの人の看病?
いや、逆に甲斐甲斐しくしそうで嫌だ。

唖然とする犬塚に犬達の世話の手順を言い残すと
俺は慌ててあの人の部屋へと向かった。

* * * * * *

布団を頭から被っている様だが
あんな調子で呼吸出来てるんだろうか。

「内海さん?」
「……ぐらもじ?」
「…はい」

酷い濁声である。咽喉をやられてる。
灰皿の中の吸殻も心成しか少ない。
本当に風邪で倒れてるんだな、と
俺は漸く理解出来た。

「汗かいてるじゃないですか。
 寝巻き替えないと、ぶり返しますよ」
「…おばえ、よぐ俺が風邪だっでわがったな…」
「横峰から聞きました」
「ぞう……」

慣れた手付きで寝巻きを脱がせていく。
かなり汗をかいている様で、
布が肌に張り付いていた。
その間も荒い呼吸音が耳に届いてくる。

何だろう、ムラムラ来る…。
弱ってる内海さんも、なかなか色気有るよな。
俺、欲情してるのか。

「内海さん、熱出てるでしょ」
「…だぶん」
「熱冷まし、しないと」
「……?」
「俺に任せて下さい。
 一発で熱を下げて風邪を治す方法、知ってます」
「…本当が?」
「本当です。安心して下さい」

熱の為に完璧に思考と判断力が
落ちている内海さんは
俺の言葉に只頷くのみである。

「取って置きの座薬が有るんです」
「ざやぐ…?」
「えぇ。コレで直ぐ良くなります」

俺はウキウキする心を必至で隠しながら
表面上は心配している顔を作って
せっせと内海さんの寝巻きを剥いでいった。

* * * * * *

「あれ? 内海さん、もう大丈夫なんですか?」
「あぁ。心配掛けたな、犬塚。
 犬達の世話大変だろ。手伝うよ」
「良いんですか? 助かります!」
「まぁ、お互い様だし」
「そう言えば、倉持さん知りません?
 昨日から見掛けなくて…」
「そう? 知らないなぁ…」
「そうですか…。犬達も心配してるんですが」
「まぁ、その内に此処に出て来るだろうさ」
「それもそうですよね」

* * * * * *

「……莫迦か、お前は」
「…う、うるへぇ……」
「内海先輩が喧嘩に強いって事を
 忘れた訳でもあるまい?
 大学時代の武勇伝、知ってるだろう?」
「…ずっがり忘れでだ……」
「やはり莫迦だ、お前は」

氷室は溜息を吐きながら
或る物を机の上に置いた。

「何だ、ぞれ?」
「谷先生の所で戴いて来た。
 お前の熱冷ましにと思ってな」
「熱冷まじ…? まざが……」
「座薬だ」
「やっばりぃ……」
「先輩の機嫌を損ねた以上、
 自分の熱の始末は自分でするしかあるまい。
 お前の高熱が長引くのも厄介だ。
 さっさとそれを使って治療に専念しろ」
「びむろぉ……」
「自業自得だ、莫迦」

本日三度目の【莫迦】を置き土産に
氷室は後ろを振り返らず部屋を後にした。
後に残されたのは顔を醜く腫らし
布団を頭から被って悪寒を凌ぐ
倉持の情けない姿だけであった。

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