『私の事、もう忘れてしまったかと思ったわ』
墓石を背に、その女性の霊は朔耶に告げた。
『その方がどれだけ良かったか』
「俺は…」
『いつまで私を縛るつもり?』
「えっ?」
『貴方の未練が、私を現世に縛るの。
解る? 貴方が、私を成仏させてくれないのよ。
勝手に生命を奪っておいて、酷い話だと思わない?』
「……」
何も返せない。その通りだ。
朔耶は俯き、唇を噛み締めた。
『あれは【事故】だったの』
彼女のその一言に、朔耶は耳を疑った。
『そう、事故。交通事故と同じよ。
誰も予期出来なかった事』
「違う、あれは…っ!」
『私がそう言ってるの。あれは【事故】なの。
だから貴方は誰も殺してなどいない』
彼女はそう言って微笑んだ。
初めて見る微笑だった。
『貴方が身に付けているその数珠。綺麗ね』
「……」
『誰かに貰ったの?』
「いや、違う…。これは…【形見】なんだ…」
『貴方の、恋人?』
「…かな。向こうはそう思ってなかったかも知れないけど…」
『その人、今でも貴方の事を護っているのね』
「?」
『その数珠に込められた想い、私には解る』
「想い…。十六夜の、想い……」
『貴方もその想いに答えるべきじゃないかしら?
本当にその人の事を愛しているのなら。
こんな所に来て、涙を流している暇は無い筈でしょ?』
厳しくも暖かな言葉。
傷付いた朔耶の心に沁み渡っていく。
大切な事を忘れてしまう所だった。
あの時と同じく、又。
『私の役目は、これで終わりね』
女性は微笑みながらそう呟き、青空を見上げた。
『私を…空に運んでくれない?』
「でも、俺は…」
『貴方にだって出来るわ。そうでしょ?』
「…やってみる」
『お願いね』
朔耶は改めて数珠を手にすると、精神を集中させた。
「oM amogha-vairocana (オン アボキャ ベイロシャノウ)
mahA-mudrA maNi-padma (マカボダラ マニ ハンドマ)
jvAla pravartaya hUM (ジンバラ ハラバリタヤ ウン)…」
今度こそ、彼女を成仏させる為。
自身の過去と、本当の意味で決別する為に。
刺青で誤魔化した心の傷と正面から向かい合う為に。
『ありがとう。これで漸く、眠れるわ…』
光り輝くオーロラに包まれながら天に昇るその姿を
朔耶がその両眼で見る事は叶わなかった。
それでも彼の表情は何処かスッキリとしており
漸く迷いが晴れた事を窺わせた。
「礼を言うのは、俺の方だ…。
本当に済まなかった。
そして、ありがとう……」 |